付加価値の低い仕事は楽しい
平日はご来店もほとんどないので、週末の間溜まった仕事を残している。例えば、返却口に残った竿を移動したり、釣り針を取り付けたり、釣り時間が記載されているマスキングテープを剥がしたりといったことだ。
付加価値はほとんどない仕事といってよい。単純作業であり、誰でも出来ることであり、繰り返し発生するものだ。
こういう作業は経営者はやってはいけない。経営者は意志決定や戦略立案、あるいは人材開発などに時間を割くべきであり、「自分しか出来ないこと」だけをやらなければならない責任があるからだ。
誰がやっても成果が変わらないのなら、やらなくてもよいように発生自体を防ぐか、それができないなら仕組化や自動化や省力化をするか、それすら叶わないのであれば自分以外の誰かにやってもらわなければならない。
原則はそうなんだろう。
だが存外この作業はとても楽しいし、やりたいことでもある。”作業的タスク”はもう何十年もやってこなかったが、クローバーを始めてからというもの、大半はこれだ。私だからこそできることなんてなんにもやっていないし、その必要性もない。大体のことはスタッフ全員ができて、互いが助け合うのだ。
繰り返しそれらをこなす毎日は、何とも説明し辛いのだが、はじめて社会の一員になった気分なのだ。
これまでの“社会をよりよくするため”に推進したり良化させたりビジョンを示すことの役割や期待を降りたことは、社会人として小粒になったねと評されるかもしれない。
しかし、目の前の、あるいはすぐ先のお客さんのためにできることの品質を維持・向上していくことは”社会”というほど概念的なものではないが、小さな歯車も誰かにとっては何かの推進力になっているもので、その歯車感が心地良いのだ。
絡まった糸を夜中に2時間掛けてほどく作業をしながらも愉快な気持ちでコトに臨めているのは、こんな心境変化と一員になるための仕事をしていると思えたからだろう。
役割や責任に仕事が付くのではなく、微細なタスクに私の人格を宿すことができる、そんな仕事をできることは幸せなことだと思っている。
だから毎日仕事が楽しいし、これからも堂々と付加価値の低い仕事に邁進する所存だ。